E.T.のうつ病ブログ

うつ病患者の私が綴ります。

【意見求む】人は人を生み出して良いのか。

「己の欲せざる所は人に施す勿れ」

これは孔子が弟子に「おもいやりとは何か」と聞かれた際に発した言葉です。意訳すれば、「自分がされて嫌なことは、他人にもしてはいけない」といった意味になります。一般的な良心を持つ人間であれば、誰もが意識している信条ではないでしょうか。私はこれを公理と呼んでも差し支えないと思います。

 

さて、この公理「己の欲せざる所は人に施す勿れ」を出発点として議論を始めましょう。

 

私が今までの人生で最も「されて嫌」だったことは、この世に生み出されたことです。

私は、生きていることに精神的苦痛を感じています。

 

生きるとは己の命を保つことです。命を保つためには、食べなくてはいけません。食べるためには働く必要があります。お金を媒介とする場合も、自給自足する場合も、どちらにせよ働くことが求められます。現代社会では圧倒的にお金を媒介とする人の方が多いと思います。よって、

生きる=食べる=収入を得る=働く … ①

の等式が成り立ちます。

 

話しは変わりますが、以前お昼の情報番組で国際弁護士の方が次のように仰っていました。

「慰謝料とは、精神的苦痛への対価である。」

この言葉を聞いたとき、私は「労働も同じ原理ではないか」と思いました。つまり、「労働とは、精神的苦痛への対価が確約されたもの」と考えたのです。この仮定は、

労働=精神的苦痛 … ②

と表せます。

したがって、等式①、②より

生きること=精神的苦痛 … ③

が成立します。

 

この等式③と公理「己の欲せざる所は人に施す勿れ」を比較してみましょう。精神的に苦痛なことは、もちろん自分にとって嫌なことです。そして、嫌なことは他人に強いてはいけません。以上のことから私は、

「生きるという精神的苦痛を他人に与えてはいけない。」

と考えます。

 

「生きるのが嫌なのであれば、死ねば良いではないか。」と考える方もいらっしゃるのではないかと思います。当然の意見です。しかし、自ら命を絶つという行為は、生き続けることと同等かそれ以上の苦痛を伴います。それでは公理に反します。とても他人に強要することはできませんし、実行すれば殺人に等しいです。かく言う私も、自殺する勇気は持ち合わせておりません。読者の皆様もそうではないでしょうか。

 

ならば、せめて「他人に命を与えない」=「子供を産まない」のが道理であり人情であると私は思います。議題の「人は人を生み出して良いのか」にNOを突き付けます。

 

ここまでは、自分の意見を主観的に記述しました。ここからは、少し客観的になって自分の意見に対する反例を挙げてみたいと思います。

 

反例A…労働が精神的苦痛ではない場合

式②で仮定した「労働=精神的苦痛」が成り立たない場合です。世の中には好きなことを仕事になさっている方々が少なからずいらっしゃると思います。その中には、「好きなことをやれているから苦痛が全くない」と言う方もいらっしゃるのではないでしょうか。そういう一握りの環境に恵まれた方々、もしくは勝ち取った方々が、子供をつくる(私はこの表現があまり好きではありません)分には私も理解できます。自らが生きることに苦痛を感じていないのだから、それを子供に強いても問題はないでしょう。そういう方々には、少子化対策のために、どんどん子供をつくっていただきたいです。

 

反例B…親がおもいやりに欠けている場合

初めに「己の欲せざる所は人に施す勿れ」を公理と定めましたが、それが間違いだということも大いにありえます。「自分がされて嫌なことでも、他人にとっては嬉しいことかもしれない。」と考える方々の存在を考慮に入れるのです。そうすれば、そういう方々が子供をつくってしまうことにも頷けます。ただ、「かもしれない」のレベルで生命を生み出すのは些か無責任だと感じられます。

 

以上が私の考えうる反例です。

 

この文書を読んで、「幼稚な考えだ。」、「屁理屈を並べるな。」と馬鹿にされる方もいらっしゃることと思います。しかし、私はこの命題に悩まされ続け、うつ病になるくらい考えてきました。現在、心療内科に通院しています。それくらい真剣です。この度は読者の皆様からご意見をいただきたく、自分の考えを文書にしました。同意でも反論でも構いません。皆様からのご意見を消化し、自分の考えを昇華させたいと考えております。コメントの程を、何卒よろしくお願いいたします。